【有名な画家の絵】パブロ・ピカソ/キュビズムを創始した「20世紀最大の芸術家」

パブロ・ピカソ / Pablo Picasso

生年月日  1881年10月25日、スペイン、マラガ
死去日 1973年4月8日(91歳)、フランス、ムージャン
国籍 スペイン
表現媒体 絵画、ドローイング、彫刻、版画、陶芸、舞台芸術、著述
代表作 ・アヴィニョンの娘たち
・ゲルニカ
・泣く女
ムーブメント キュビズム、シュルレアリズム

1881年スペイン生まれ。幼い頃から美術教師の父親から絵画を学び、すぐに才能を発揮しました。

そして「青の時代」や「バラ色の時代」を経て、「キュビズム」という革新的な技法を創出しました。ポール・セザンヌに影響を受け、異なる複数の視点からとらえた物体を小さな切子面にいったん分解し、再構成する独自の表現方法で、明暗法や遠近法を使わない立体表現を確立しました。

戦時中の1937年には『ゲルニカ』を発表し、反戦や抵抗の象徴として評価されました。

その生涯で一万点以上の油絵・デッサンを制作し、10万点の版画、数百点の彫刻や陶器作品、膨大な作品を制作した芸術家としてギネス世界記録にも登録されています。

「常に変化し続けるところにピカソの偉大さがある」と言われるほど、生涯で様々に画風を変化させた「20世紀最大の芸術家」。変遷した画風の中から代表的な作品を紹介します。

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「モンサンミッシェル」
キラキラ画 A4
¥30,000(額縁込 \33,000)
オジサンが旅した地 ベルギーの夜景 グランプラス広場
キラキ A4
¥27,000(額縁込 \30,000)

画家ピカソ:初期

「科学と慈愛」1897年

1897年、ピカソ16歳の時の作品。

父親に指導され「生と死」をテーマにコンクール用に描いた初期の代表作。

金賞を受賞し、すでに古典的な技法をマスターしており、ピカソの神童ぶりを示しました。

死の床にある女とその子供、修道女と医師が見守っています。

医師は「科学」を、修道女が「慈愛」を象徴しています。

ピカソは生涯この作品を手放しませんでした。

画家ピカソ: 青の時代

「人生(ラ・ヴィ)」1903年

この作品は、陰鬱な薄暗い青や青緑を中心に描かれたピカソの「青の時代」の集大成の傑作とされています。

左の男女は、自殺した親友のカサヘマスとその失恋相手のジェルメールで、2人に起きた悲劇が描かれました。右には母子像が描かれ、作品中の人物は皆虚ろで絶望の中にいるかのようです。

「老いたギター弾き」1903-1904年

痩せ細り、貧しい身なりをしたやつれた老人が、スペインのバルセロナでギターを弾いている様子を描いた1903年から1904年にかけて制作された作品です。当時、貧困生活を送りながら絵を描いていた、ピカソ自身の心情を投影した作品とされています。

画家ピカソ: バラ色の時代

「玉乗りの曲芸師」1905年

「バラ色時代」を象徴する作品のひとつ。

手前に描かれている2人の性別・体形・ポーズが対照的です。また、球体や立方体も対比的です。

「サルタンバンクの家族」1905年

「バラ色時代」の代表作。

サーカス芸人一家を描いた1905年の作品。

”サルタンバンク”とは、当時、路上芸人といえる社会的最下層の人々です。

ピカソはサーカス小屋に通っては芸人たちを熱心に描きました。

当時のピカソの孤独、放浪、貧しさといった境遇や内面を彼らに投影していたともいわれています。

このあたりからピカソの絵は売れるようになり、名声も獲得していきました。

「パイプを持つ少年」1905年

花冠をかぶったパイプを持つパリの少年を描きました。

ピカソはポーズを決めるのに長い時間を費やし、また当初は花冠は無く、後から花冠が描き足された作品です。

画家ピカソ: キュビズムの時代

「アヴィニョンの娘たち」1907年

絵画の歴史に革命を起こした作品。

ピカソは伝統的な遠近法を無視し、人物、背景など全てを小さな断片に切り分けそれを再構成しました。

また右の二人の顔はアフリカ彫刻の影響が見られます。

ピカソはこの作品で複数試みているのです。

『アビニョン』とはバルセロナの売春街の通りの名称で、描かれているのは娼婦。

美術史上その後に与えた影響の大きさから、革命を起こした作品と位置づけられています。

「マンドリンを弾く女」1909~1910年

当時の恋人のフェルナンド・オリビエがモデル。

『アビニョンの娘たち』を機に、ピカソは対象をいくつもの小さな切子面にいったん分解し、それを画面上で再構成するというキュビズム手法を展開していきました。

この作品は「自然の中のすべての形態を円筒、球、円錐で処理する」というセザンヌの言葉をヒントに描かれた初期分析的キュビズム時代の代表作。

画家ピカソ: 新古典主義時代

「肘掛け椅子に座るオルガの肖像」1918年

ピカソの最初の妻でオルガ・コクローヴァが絵のモデル。

旅先のローマでルネサンス期の古典の名作に感銘を受け、またオルガに「わかりやすい絵を描いて」欲しいという意見もあってキュビスムから離れて古典主義の様式に立ち返り、写実的な描写に取り組んだ時期の傑作です。

白い肌と黒いドレスのコントラストが見事で、鮮やかな模様や扇子によってオルガを優雅な印象に。

ピカソの作風を変化させたオルガの存在は大きいといえます。

「母と子」 1921年

新古典主義時代の代表作。

バレリーナのオルガとの間に第一子が誕生した1921年に制作されました。

父親となった影響からか、この頃『母と子』を題材にした作品を多数残しています。

陰影を使って量感を出すなど古典的な描法に回帰して、母親の手足と丸みを帯びた体つきが生命の躍動感を漂わせます。

「海辺を走る二人の女」1922年

ピカソは1920年頃から毎年、南フランスのアンディーブで過ごすようになります。

ピカソはそこで「キュビスム」の静物画を描きながら、」一方で海辺の女性たちを題材とした作品も手掛けました。

この作品は地中海のぎらつく太陽や潮風を浴びて浜辺を走る2人の女を、彫刻的な顔や太い手足など新古典主義の作風です。

「夢」1932年

22歳の愛人マリー・テレーズをモデルに描かれた1932年の作品。コントラストのある色彩で絶妙に構成され、顔に注目すると、ピカソとマリーがキスをしているように見えます。

画家ピカソ: 戦争の時代

「泣く女」1937年

モデルは当時の愛人ドラ・マール。『泣く女』は後に描かれる『ゲルニカ』の習作の一つで相互性のある作品と言われます。

この泣く女には、100種類以上のバリエーションがあり、この作品はシリーズの最後に制作され最も高く評価されました。

キュビスム的な多視点分割技法で感情をあらわにした女性を力強く描いています。

「ゲルニカ」1937年

1937年ドイツ軍によるスペインの古都ゲルニカを爆撃したことによるピカソの抗議として、戦争の恐怖や苦しみを描いた作品です。

ピカソは、もともとパリ万博への出展を依頼されて他の絵を描いていましたが、「ゲルニカ爆撃」の一報を受け、急遽このゲルニカ制作に転換したのです。短期間に膨大なスケッチを積み重ね、乾きの早い工業用ペンキで描かれました。

この絵を隅々まで見ると、戦争だけではなく闘牛や幼児虐殺なども描かれており、ピカソは人間の愚かな残酷さ全てに対して抗議していたとも言われています。

画家ピカソに関するエピソード「モナリザ盗難で逮捕?」

1911年8月22日、世界的名画「モナ・リザ」が何者かによってルーブル美術館から忽然と姿を消した。この日はルーブル美術館の休館日で、館内修理で業者の出入りも多い日だった。

容疑者として、詩人ギヨーム・アポリネールとその友人のピカソを逮捕・拘留した。アポリネールの家に同居していたピエネという男が窃盗の常習犯で、以前にルーブル美術館から彫刻を盗み出してピカソに売りつけていた前歴があったのだ。

その後、二人は証拠不十分で釈放された。盗まれた「モナ・リザ」は2年後にイタリアのホテルで真犯人が捕まり、ルーブル美術館に無傷で戻ってきた。「モナ・リザ」が発見されたホテルは「トリポリ・イタリア」といい、その後「ホテル・ラ・ジョコンダ」(モナ・リザの意)とホテル名を変えて便乗営業したそうです。

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